ジャズミュゼットへの招待
Introduction to Jazz Musette
ミュゼットの歴史 -Musette History-
フランスの伝統音楽・ミュゼット(Musette)の歴史を時系列で紹介します。
―17世紀以前―
フランス中部・山岳地帯のオーベルニュ地方では、古くから、キャブレットという楽器を使った民謡が演奏され、現在でもこの伝統音楽が継承され演奏されています。キャブレットとは、山羊の皮と木管で作られたバグパイプのことで、別名ミュゼと言われます。[1]
このミュゼという名称は、13世紀に生きたフランスの吟遊詩人コラン・ミュゼに由来するとも言われ、これが後に、音楽ジャンルの一名称にも繋がっていきます。
フランス中部・オーベルニュ地方
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/
オーヴェルニュ地域圏)
―18世紀(1700年代)―
フランスの農村で使われていたキャブレットは、次第に、貴族社会において、とりわけ、ブルボン家によって、「農民」の楽器として親しまれるようになりました。
このとき、ハーディ・ガーディと呼ばれる、大きさは異なりますが、ヴァイオリンのような弦楽器と共に演奏されることが多かったと言われます。この時期の宮廷での音楽は、バロック・ミュゼットとも呼ばれます。
―19世紀初頭(1800年代初頭)―
一方、現在のミュゼット音楽に欠かせない、アコーディオンの原型となる蛇腹を用いたリード楽器が生まれたのは、19世紀初頭頃のオーストリアと言われています。1829年に、オーストリアのシリル・ダミアンが「アコーディオン」という名前を考案しました。19世紀中頃には、主にイタリアやフランスの都市部で大人気となりました。[4]
―19世紀中頃~後半(1800年代中頃~後半)―
この時期、パリ万博の影響もあり、フランス・パリは好景気で、オーベルニュ等の農村からの移住者や隣国からの移民が多数流入し、街は活気に湧きました。特に、パリの5区、11区、12区などにオーヴェルニャットが多く住み着き、バスティーユ近くのラップ通りなどにカフェやバルを開きました。このバルでは、伝統的なキャブレットやハーディ・ガーディの伴奏に合わせてブーレ(bourrée)を踊るようになりました。[2,3]
一方、アコーディオンを演奏していたパリの音楽家や移民のイタリア人音楽家たちは、この演奏スタイルを取り入れ、特に、19区のオーヴェルニャットのバルでその地位を確立しました。[2]
しかし、19世紀末頃までに、移民のイタリア人がフランスの伝統音楽にワルツ(3拍子)やポルカ(速い2拍子)などの新しいリズムを取り入れたことで対立が生じ、イタリアン・スタイルとオーヴェルニャー・スタイルのミュゼットが存在しました。[2]
このような状況のなか、バル「シェ・ブスカテル (Chez Bouscatel)」を営むキャブレット弾きのブスカテルの娘とアコーディオン製造者のペギュリ一族のシャルル・ペギュリとが結婚して以来、アコーディオンとミュゼットが繋がり合い、この出会いによって、バル・ミュゼットの原型が形づくられた、と言われています。[3]
この時代のバルでの集まりは「ル・バル・ア・ラ・ミュゼット」(Le bal a la musette)と呼ばれ、それが「ル・バル・ミュゼット」と略されそこで演奏する音楽を「ル・ミュゼット」と呼ぶようになりました。 [2]
【この時代の主な代表曲】
ミュゼットの女王 Reine de Musette(by Michel Péguri)
真実のミュゼット La Vraie Valse Musette(by Emile Vacher)
3連符 Les Triolets(by Emile Vacher)
【この時代の主な演奏家】
アントワーヌ・ブスカテル Antoine Buscatel
エミール・ヴァシェ Emile Vacher
シャルル・ペギュリ Charles Péguri
ギュス・ヴィズール Gus Viseur
―20世紀初頭(1900年~1930年)―
19世紀後半のバル・ミュゼットのブームが続き、パリ市各所のバルやガンゲット(ダンス酒場)で、ミュゼット音楽が賑わいを見せました。[1]
しかし、キャブレットを用いた本来のミュゼットの音色がダンスホールに流れていたのは1910年代の中頃までだったと、言われています。
1930年代には、マヌーシュ・ジャズと呼ばれる、アメリカのジャズと東欧のジプシー音楽が融合したリズミカルなスウィング音楽や、周辺諸国の音楽(タンゴやパソ・ドブレ)などの多様な音楽の影響を受け、ミュゼットのスタイルが徐々に変化していきました。特に、ジャズ特有のモダンコードやインプロヴィゼーションを取り入れた演奏家が出始め、卓越したテクニックを持つアコーディオン奏者も増え始めました。この頃には、アコーディオンを中心として、バンジョーやピアノ、サックスなどの管楽器、ジプシーギターやバイオリンなどの編成からなる楽団のスタイルも現れるようになります。[1][3]
この時代に流行ったインプロヴィゼーションを取り入れたミュゼットをジャズ・ミュゼット(Jazz Musette)と呼んでいます。
【この時代の主な演奏家】
ギュス・ヴィズール Gus Viseur
ジョ・プリヴァ Jo Privat
トニー・ミュレナ Tony Murena
エミール・ヴァシェ Emile Vacher
ジョゼフ・コロンボ Joseph Colombo
―20世紀中頃(1940年~1950年)―
1940年頃までに、バル・ミュゼットはフランスで最も人気のあるダンススタイルとなり、そこでの演奏家は、フランス全土で広く知られるようになりました。[3]
この頃若手として,またマヌーシュ・スウィング奏者として,素晴らしいメロディを生み出したジョ・プリヴァがいます。彼は『Manouche Parti:マヌーシュ・パーティ』というレコードで、優雅なアコーディオン演奏とマヌーシュ・ジャズを融合させた録音を残しています。[3]
【この時代の主な代表曲】
スタイル・ミュゼット Style Musette (by André Verchurenn)
モントーバンの火 Flambée montalbanaise (by Gus Viseur) 1940
アンディファレンス Indifférence(by Tony Muréna)1942
パッション Passion(by Joseph Colombo / Tony Muréna)
スウィング・ワルツ Swing valse(by Gus Viseur, Pierre "Baro" Ferret)
【この時代の主な演奏家】
ジョ・プリヴァ Jo Privat
イヴェット・オルネ Yvette Horner
マルセル・アゾラ Marcel Azzola
―20世紀後半(1960年~1990年)―
1960年頃から、イギリスからのロックやアメリカのポピュラー音楽、電子音楽の文化が押し寄せ、ミュゼット音楽の人気は激減しました。
1980年頃になると、世界的にも楽器本来のアコースティック・サウンドや民族音楽などへ関心が向けられるようになり、アコーディオンを用いたミュゼット音楽も一時の賑わいを見せます。[3]
【この時代の主な演奏家】
ダニエル・コラン Daniel Colin
ジョエ・ロッシ Joe Rossi
ジョ・プリヴァ Jo Privat
マルセル・アゾラ Marcel Azzola
―21世紀前半(2000年~2020年)―
ミュゼットはフランスの伝統音楽としてのジャンルを確立し、また、特に都市でバルの人気が復活したことで、ミュゼットの現代的な変化が現れつつあります。[3]
【主な演奏家】
リュドヴィク・ベィエ Ludvic Beier
ジェローム・リシャール,
ル・バルーシュ・ドゥ・ラ・ソグルニュ Le Balluche de la SAUGRENUE
スウィングオブフランス Swing of France
フランス・ナントを拠点に活動するSwing of FranceによるフランスでのJazzの紹介動画
―参考サイト―
本ページは以下のサイトの情報を一部引用して作成しています。
[1] バル・ミュゼット楽団ラ・ゾーヌホームページ:https://lazone.jimdofree.com/
[2] Wikipedia:https://en.wikipedia.org/wiki/Bal-musette(英語版)、https://fr.wikipedia.org/wiki/Bal_musette(フランス語版)
[3] ENSEMBLEアンサンブル・ミュージック ミュゼットの歴史:https://ensemble-shop.jp/?mode=f4
[4] 鍵盤堂・Vアコーディオンの故郷を訪ねてhttps://www.ikebe-gakki.com/web-ikebe/kbd_V-aco-country/index.html